最近の私の深い危惧は、このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習の高速道路」が英語圏にのみ敷設され、英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。「学習の高速道路」を構築するためのインフラはもうすべて用意されている。あとは日本語圏に生きる私たち一人ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである。
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ここでは「危惧」となっているけど、最近の自分の印象では「既に」そうなっている印象がかなり強い。
たとえばサブプライムローンに関する話だと海外ではいくつかきちんとこの現象についてまとめた論文がネット上に「英語」で出ていて、Financial Timesを読むと時々それらが言及されている。だからFTの記事は表層的なレベルにとどまらないできちんと状況把握をしているようなのだけれど、日経はぶっちゃけこの問題がどこに波及していくのか全く分からないままここ数か月記事を書いている嫌いがある。 レベルが低過ぎてお話にもならないのだが、これも英語力の欠如が生み出している悲劇なのかもしれない。
使用言語を英語にするだけでアクセスできる情報量は圧倒的に増える。あとこれにフランス語とドイツ語をプラスするともっとうれしい状況になる、のだがそこまでは自分はできていない。
(via hexe)
(via b0c) (via saitamanodoruji, pdl2h) 2009-12-06 (via gkojay)